イタリア南部、ネアポリスの通りから少し外れた路地裏にある、カフェ・バール。
前の店主が十年前に一目見て気に入り、多少の改装を施し開店したその名も『アッヴェネンテ』。
愛らしい、可愛らしいという意味の店名とは異なり、天井が高く、落ち着いた配色の内装の店内には、立ってコーヒーを飲んでいくカウンターテーブル(バンコ)と、昼食を食べたり座ってコーヒーを飲む為のベンチタイプの木製のイステーブルがある。

 現在の店主であるコルヴィノが前の店主である祖父に変わり、『アッヴェネンテ』の一切を担っている。
そんなこの店を切り盛りしているのが、二十代半ばの長身で黒髪の男コルヴィノと、二十代前の女―――の二人だ。


 それほど広いわけではない店内だが、私、が働くより半年前までは、店主でありバリスタ(バールマン)のコルヴィノがほぼ一人という状況で切り盛りしていたという。
そんな私がここで働くに至る経緯は、簡潔に一言で説明してしまうとこうだ。
悲しきかな不景気の影響で企業からはことごとく爪弾きにされ、ニートの仲間入りを余儀なくされるところに、中等学生の頃からの馴染みである『アッヴェネンテ』に採用してもらったのだ。
といっても、お情けで採用してもらったわけではなくて、コーヒーと『アッヴェネンテ』が好きで情熱があるから、ということで働かせてもらえるのだ。
 しかし、仕事をもらっても、コルヴィノの淹れるコーヒーがどれだけ美味しくても、ここはネアポリスの通りから外れた、しかも路地裏にくる物好きなんて不穏な輩か何らかの理由を持つ人間くらいなもので、表通り比べると客足が淋しい。
それでも世の中には『物好き』というものが居て、雑誌か何かを見て『ここ』の噂を聞きこの店にやってくる。
そんな彼彼女らのおかげで、『アッヴェネンテ』はどうにかやっていけているわけなのだ。

 つまり、学生時代からここに通っていた私も、今まで来ているお客さんもこれから来るお客さんも全てが『物好き』というわけで。
これはそんな奇妙な縁で惹かれあった『物好き』たちの物語である。







 綺麗な金髪の巻き毛、翡翠色の目をしたお客さんが今日も来た。
いつもの軽食のパニーニを二つと、マキアートを注文し、レジにお金を置いて一番奥のイステーブルに腰掛けた。
羽織っていた秋らしい色使いのトレンチコートをイスの背もたれに掛け、黒いスーツ姿で、新聞をバサッと開いて読む姿はその若い見た目と不相応に思える。

 彼はジョルノさんといって二年程前から週に二、三回昼食時にきてはパニーノとその時の気分でコーヒーを注文し、軽食をとって帰るリピーターさんだ。
二年前というと私はまだ学生だったから、顔だけなら知っていたがそれ以上は名前すら何一つ知らなかった。
コルヴィノの話によると彼はまだ十七歳なんだとか。

コルヴィノに肩を叩かれ振り返ると、二つの美味しそうな香りが。

、『彼』に持ってってくれないか?」
「はーい!」

出来上がった熱々のパニーニと、マキアートをトレイに乗せると私にそれを手渡した。
私の仕事はつまり、これだ。オーダー・配膳・片付け……まだまだ見習いだから仕方がないのだけれど。
新聞を読んでいるジョルノさんの邪魔をしないように、静かに声を掛けてパニーノとマキアートを置く。
Graze、と新聞から目を離さずに呟くような声でお礼を言われ、小さく会釈して踵を返す。

バンコに寄り掛かって、洗い物をするコルヴィノに話掛ける。

「ねえ、コルヴィノ」
「なんだ?」

私が話掛けるのとほぼ同じタイミングで、若い女性客が立て続けに五人ほど入店し、入り口付近のイステーブルに掛けた。
パニーノとカフェ・ラテを人数分頼まれ、お代を頂いてから調理に回る。

「コルヴィノ、話の続きなんだけど、今ってお昼時だけど……平日ですよね?」
「そうだな。……ああ、そういえば今日はアルベロの店の肉が安いそうだ」
「じゃあ今晩は贅沢にステーキに……じゃなくて!私が言いたいのはジョルノさんのこと。学校はいいのかな」

十七歳だと聞いたからには心配になるのだ。
平日の午後に制服ではなく、黒のスーツに身を包み新聞を読み進める。
コルヴィノはぎゅ、と眉間にシワを寄せて、

「俺らがそんな心配する必要はない。それに、いつも言っているだろう。余計な詮索はするなと」

そう言いながらカフェ・ラテの準備をし、パニーノを作る手伝いをしてくれるコルヴィノ。
私は度々、どうしてもこの好奇心をとめられず、余計な詮索をしてはコルヴィノに怒られるのだ。
因みに『アルベロの店』というのはアルベロさんという、若い女の子が大好きな精肉店の店主の名前だ。
ここから表通りに出るとすぐに見える。因みに奥さんの名前はシャルロッテさん。

 出来上がった料理とカフェ・ラテを若い女性客のいるテーブルに運ぶ。
女性客はなにやらジョルノさんのいる奥のテーブルに熱っぽい視線を向けて、口々に何か呟いている。

「カッコいいわァ……」
「声掛けようかしら」

などと、ほう、と溜息混じりにうっとりとするような声が聞こえる。
見られているジョルノさんは、気付いているのか否かは察しかねないが、黙々とパニーニを頬張りながら新聞を読み進めている。



 数分ほどすると、携帯電話の着信を受けて足早に立ち去っていった。
そんなジョルノさんが去った扉を、名残惜しそうに見ていた若い女性客も短い世間話をして去って行った。
見送った後に食器を下げ、テーブルを拭き、軽く床掃除をしてまた暇になってしまった。

 その後も数人ほどお客さんが足を運んで、今日も一日が終わった。
たまにだが、普段では考えられないくらいのたくさんのお客さんが来る日もあるけれど、今日は至って平凡な日だったため定時で上がれるようだ。と、言っても基本は定時で上がれるんだけどね。
コルヴィノが締めの作業をし、私が店内の片付けや食器類のチェックなどをしてコルヴィノが最後に鍵を閉めて解散するのがいつもの流れだ。
その流れに従って作業を済まし、着替えも済ませて玄関先で挨拶をする。

「お疲れ、。今日は送って行けなくてすまない」
「謝らないで下さいよ、大丈夫ですって。お疲れ様でした、コルヴィノ、また明日」

挨拶を交わしてコルヴィノは走って通りの方へ消えていく。
その姿が見えなくなってから私も通りへ向かって、薄暗い路地裏を歩きはじめる。





 この路地裏は、ここ数年で以前より治安が良くなったため安心して通れるのだが、それでも薄暗いため恐怖感が拭えず、いつもならコルヴィノが心配して送ってくれるのだが、今日は用事かあるからと一人で歩いている。
夕飯のステーキ用の肉を買うため、と意気込んで足早に通りへと向かうが、通りに出るまで二十分ほど掛かる。
この時ほど二十分という時間が長く感じることはない。

 時計を見ると今はもう二十時を過ぎていた。きっと通りを歩く人の姿は少なく、淋しいだろう。
それでもこの裏通りに比べたらなんのその、と自分を奮い立たせて進む。
もう少しで通りへ出るというところで、通りから走ってきた何かが歩いていた私にぶつかった。

「きゃっ」

ぶつかってきたソレは、微かに頭を下げて息を切らしながら私の来た道を走って行った。
フードを深く被っており、性別も容姿も何も判別できなかったが私よりも背が低く小柄なように思えた。
その小柄なおかげでぶつかってきても、大した反動じゃなかったので転ばずに済んだ。


「何なのもう!びっくりしたじゃない!」

ただでさえビクビクしながら路地を歩いてきたというのに、突然飛び出してきたものだから口から心臓が飛び出るほど驚いた、本当に。
ぶつくさ文句を言いながら走り去って行った後姿を目で追ったが、もうそこには誰もいなかった。

 仕方なしに、バクバクと暴れる心臓を労わりながら、アルベロさんのお店で安いステーキ用の肉を買い、おまけも付けてもらって喜んだ。
そして、適当な店で野菜やお酒を買ってほくほくとした気分で買い物袋を振り回しながら家路へと向かう。


 表通りからまた、人通りの少ない通りに入り、細い小川を繋ぐ小さな煉瓦製のアーチ橋を渡るとそこが私の住むアパートだ。
たまに遊びにくるコルヴィノには、もっと人気の多い場所に住むんだ、と何度も促されるが引っ越しの資金などどこにもない。


 呑気に鼻歌なんか口ずさんで、夕食のステーキの調理法を考えながら歩いていると後ろから何かにぶつかられた。
先程とは違ってあまりの勢いで倒れそうになったが、なんとか持ち堪えて背中をさする。

「いたた……今日はぶつかる日だなあ!」

睨むように振り返ると、そこには。

「う、ぐッ……」
「えっ…………ジョルノさん!?」

週に二、三回に昼時に来るジョルノさんが、苦しそうに声を漏らしながら倒れていた。
駆け寄ってうつ伏せで腹部を押さえているジョルノさんの体を抱き起こすと、手にしっとりとした感触があり見るとそれは赤黒かった。
―――血だ、と思いジョルノさんの外傷を探すと腹部から血が滲んでいた。怪我をしている。それも大きな。
この辺で通り魔にでも襲われたのだろうか、それともマフィアとかギャングにでも襲われたのか。

「け、警察……!その前に救急車!」

どう考えても私じゃあ対処出来ないと判断し、慌ててポケットから携帯を取り出す私の手を彼の手が掴む。
そして苦渋に歪んだ顔を何度も微かに横に振りながら、

「け……警察も、病院も……ッ」

必要ない、と聞き取れたがどうみても警察沙汰の問題で、彼に必要なのは確かな腕を持つ医者だ。
つい最近普通学校を卒業したような私の出る幕なんかじゃあない。
慌てふためいてオロオロする私に、彼は更にとんでもないことを言い放った。

「僕のことは……っ、放って……おいて下さい。大丈夫です、から……ッ!」

呻き声を上げながら上半身を起こす。起こすと黒いスーツにさらに血が滲む。
腹部を押さえている、寒さと力の込めすぎで白くなっている彼の手が、血に染まって真っ赤になる。
その姿を見て大丈夫だなどと、どの口が言うのか。


聞きたい事が山ほどあったがそんな暇なんかどこにもあるわけがなく、ただ私は後先考えずに

「ほ、放っておけないよ!ああもう、警察も病院も嫌ならうちに連れてく!」

と、彼に言うわけでもなく自分に言い聞かせるよう立ち上がった。
そしてまた屈んでジョルノさんを少々乱暴に、かつ強引に自分の背中に乗せる。
何をするんです、と抵抗するジョルノさんを無視して私は自分のアパートに彼を連れて帰った。













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2010/12/07